「ウーマン ラブ ウーマン」(邦題、確かに変です)。1軒の家に住んだ3組のカップル(じゃないケースも)を描いていきます。61、72、00年が舞台。61年にはヴァネッサ・レッドグレーブが出演、押さえた演技ながら圧巻です。72年にはミシェル登場、「ゾディアック」でジェイクと共演のクロエ・セヴィニーも。3話目がジャケ写にあるようにシャロン・ストーンと、今年のアカデミー賞で司会を務めたエレン・デジェネレス。
本編の感想の前に、まずジャケットのキャッチに疑問が。女同士の赤裸々な性愛、みたいなあおりは、この作品の本質からかけ離れてます、喝!
レビューは概ね好評ですが、「真面目な映画だが、 見る側としては興味本位でしか見ることができないので」ってさあ。なんでこう、自分を消したような、言訳めいた書き方するかね。見たのは貴方自身でしょう、「私は興味本位でしか見ることができない」とはっきり書けばあ、と、セクシュアル・マイノリティ映画の感想に特有の奥歯にものの挟まったような書き方にイライラ。
*以下、ネタバレ気味に話を進めますが、TV用に造られたというこの作品、とても完成度が高いし考えさせられます。ミシェルも出てるし、BBMファンは義務として見てほしいです。レズものはー、なんて尻込みしてる場合じゃないです。
◇1961
冒頭、映画館で2人が見ているのは「噂の二人」。涙なくして見られないシリアスシーンになんと笑い声が。BBMの再会キスで笑いが起きたと公式BBSで話題になりましたが。ゲイでも笑った人は「見られて間抜けだなあ」くらいの意味、とさらっと書いてたけど、別のゲイが「早くDVDが出てほしい、自宅でじっくり見たい」と。今は「笑い声」に傷つくことなくBBMを鑑賞しているでしょうか。この映画を見て、やはりあそこで笑うのは不適切だと感じました。
かなり救いのない話です、30年連れ添っても世間的には女2人が同居してるだけ。共同でローンを払ったといっても家が先立った彼女名義なら、残されたほうには何の権利もなく。ああー、どうして早めにどうにかしておかなかったの、いや、その矢先に、だろうか。胸が潰れるような思いで見ておりました。家族でもないエディス(V.レッドグレーブ)は最愛の人の死に目にもあえなかった。
押しかけてきた甥とそのヨメは自分たちの権利を主張するばかり、来るなり家の中を物色です。あまりのことにエディスはベッドに突っ伏し吠えるように泣く。もう何と言っていいのか、せめてもの救いは甥夫婦の娘、亡き彼女の血を引いた娘のやさしさでした。
◇1972
エディスが悲哀をかみ締めた家ではレズビアンの女子大生4人組が共同生活。ウーマン・リブの時代、なんですが、女性解放グループからつまはじきに。「私たちまでレズだと思われるから」って、なんじゃそりゃー!?
そんな中、リンダ(ミシェル・ウィリアムズ)は男装のエイミー(クロエ・セヴィニー)に惹かれていくのですが。「男の真似をしてる」エイミーに仲間たちは冷たい。男の服の方が楽だっていってるのに、女らしい服(スモックなんですよ、流行りましたね、なつかしい)を無理強いするんじゃない! 女性「解放」運動の限界を見た気がしました。
リンダとエイミーのベッドシーンは、あまりに平和で無邪気で笑顔いっぱいで、「女同士ってこんなに楽しくHできるんだー」って目からウロコが落ちまくり、こちらまで幸せな気分になれました。男×女、男×男のこうしたシーンは腐るほど見ましたが、これほどのびやかで愛にあふれた世界ははじめてかもしれません。ミシェルは抱きしめたくなるほど可愛いし、男装のクロエの魅力的なことといったら宝塚の男役もまっつぁお?
◇2000
時代は移り、女性同士のカップルが人工授精で子供をつくろうとしてのすったもんだ、が語られます。「1961」の悲壮感はどこにもありません。それでも「将来、子供が差別されたら?」など不安は尽きません。2人の愛の結晶が大人になる頃は、セクシュアル・マイノリティだけでなく、あらゆる少数派が生きやすい世の中になっているように祈るばかりです。
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