クラッシュ(2)
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クラッシュ 《ヘア解禁ニューマスター版》 販売元:アミューズソフトエンタテインメント |
小谷真理の「おこげノススメ」は画期的な本でした。Amazonの説明を要約しますと、
【バロウズ、クローネンバーグ…カルト的男性作家の作品には、「女になること」への欲望と恐怖が隠されている。ジェンダー、クィアなどの最先端理論と、男たちの間に秘められた同性愛を読みこむ「やおいカルチュア」を融合し、「おかま」にまとわりつく「おこげ」が、ハイパーメディア社会の権力関係を脱構築する。前代未聞の批評理論。 】
クローネンバーグって女性嫌悪なんですか? この本のおかげで「クラッシュ」を前回より100倍は興味深く再見できました。前の感想はこちら。allcinemaのレビューがてんでばらばらで可笑しいですね。
今回、セックスシーンはさほど気になりませんでした。確かに回数は多いですが、ホリー・ハンターもデボラ・アンガーもロザンナ・アークエットもあまり肉感的な女優でないせいか、一応ヤッてます、という記号にしか見えませんでした。なんだかエクササイズ、て感じ。しかし淀長先生はひじょーにお怒りで「見たい人はお勝手に」と。
ジェームズ・ディーンの事故再現ショーは映画にも描かれ、次はジェーン・マンスフィールドの事故を、と計画してますが。実は原作ではその女優はエリザベス・テイラーだったそうで。とんでもないですね。(汗)原作はJ・G・バラード、小谷によればバラードもクローネンバーグも共にバロウズに影響され、バラードのいう「内世界」に対する意識を共有している。その意識には女性嫌悪の共犯関係が見え隠れするところが興味深い、と。
「バロウズの妻」で分かるようにバロウズは(誤射とはいえ)妻を殺害しています。「裸のランチ」は未見ですが、この映画にも妻殺しのシーンはあるそうです。クローネンバーグが「M.バタフライ」で描いた「妻の消滅」(女だと20年も信じていたのに男だった)とは、「フランス人男性と中国人男性が『東洋の女=蝶々夫人』というイメージを共に再創造するに至った共作関係」と小谷は断じています。妻の実体とは男同士が作り上げた幻想に過ぎないのでしょうか。
「クラッシュ」もまた、基本的には原作に忠実でありながら「妻殺し」の意図が明確に示されている、と小谷は書いています。そちらの話はネタバレの方で。
小谷によれば、キャサリンは夫のはまりこんだ逸脱の共同体から疎外されています。「問題外の存在」であり、いわば「外部の妻」。夫の幻想に手を貸し、その補完関係で性的に完結する、男の性中心の、二次的立場におかれているが。実は疎外されながら外部から夫を視姦しつづけたのではないか?
【キャサリンの視姦の真に暴力的な部分は、ジェイムズの心の中にあるヴォーンへの欲望を読み取ってしまう瞬間】
これは前回も書きましたが、「ヴォーンと寝たい?」云々の場面のことですね。再見してびっくりです、キャサリンはひじょーにしつこいです。そこまで言うか? クールな顔で(Hの最中なのに)夫を追い詰めていくデボラ・アンガー、見事です。この記事は「腐女子を考える」カテゴリーにも入れますね。キャサリンが腐女子かも? とふと思ったからです。だって夫に男と寝るようにけしかけるんですから。
【それは本当にキャサリンが男の妄想する虚構(ポルノグラフィ)としてジェイムズの隠蔽された欲望の物語を暴いたのだろうか。それともキャサリン自身がキャサリン自身のために夢見た虚構(ポルノグラフィ)だったのだろうか?】
キャサリンの視線は「男性社会における儀礼をロマンスに読み替えるもの。男たちの絆を『愛』と読み替える『やおい少女』のように」と小谷は指摘しています。
革と金属の組み合わせはやはりボンテージファッションを思わせます。ロザンナ・アークェットの仰々しい固定具もそうですが、ベルト(これも革と金属)のバックルを車の中でヴォーンが外す音、今回はきっちり聞こえました(BBMのテントシーンを連想)、キスだけでは済まなかったのは明白ですね。ベッドで妻が「命じた」ことをジェイムズは実行したものと思われます。
【女を犠牲とするポルノグラフィと、男を視姦するポルノグラフィ。ふたつの文脈の衝突を描いた「クラッシュ」。この衝突からかもしだされる逸脱のセクシュアリティは現代における逸脱の読み(おこげ)の可能性を陰鬱に浮かび上がらせる。】
というのが小谷の「おこげノススメ バラードを読むクローネンバーグ」(P41~54)の結びの言葉でした。
*以下、ネタバレです。ラストに触れています。
ラスト、ジェイムズはヴォーンの車でキャサリンの車に追突します。車から投げ出されたキャサリンは一応、助かるのですが。ジェイムズの台詞「次はきっと…」は、やはり妻殺しを意図しているのでしょうか?
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