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ブロークバック・マウンテン(358)

モーリス HDニューマスター版 [DVD] DVD モーリス HDニューマスター版 [DVD]

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「モーリス」のDVDが先月、ようやく再リリースされました。アメリカ版のように2枚組で特典映像多数、ならば購入してもいいのですが、単に映像がきれいになっただけでは食指を動かされませんねえ。(「プリンス・オブ・ペルシャ」のベン・キングズレーも出演してますが。)

えー、この記事は「モーリス」とBBMを比較、ということでもないのですが、「モーリス」ならば同性愛がテーマの映画、と断言しても大丈夫よね? とふと思ったもので。私は4年間、BBMについていろいろ考えてきましたが、やっぱりイニスとジャックは、少なくともイニスはゲイだとは断言できない、それどころかイニスのセクシャリティも不明です。従ってBBMをゲイ映画と呼ぶことには強い抵抗があります。

唐突ですが、キリストは「おまえはユダヤの王か」と訊かれて「私ではない、あなたがそう言ったのだ」と応えていました。映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」を見て以来、この台詞が頭の隅にずーっと引っかかっていました。

【そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。
わたしが王だとは、あなたが言っていることです。」(ヨハネによる福音書の18章33節~38節)

BBMの考察を進めるうちにこのやり取りをふと思い出しました。なんだかイニスのおかれた状況のようだと。もしイニスが「おまえはゲイか?」と尋ねられたら彼は「(ゲイだとは)おれが言ったんじゃない。あんたがそう言っているんだ」と応えるのではないかと。ジャックを愛していることは確かですが、確かなのはそれだけではないですか?

ちょうど暖水魚さんからコメントを頂き、またキリストの「わたしが王だとは、あなたが言っていることです」を思い出してしまったわけです。【テントの性行為場面で、ほとんどの人が、あそこで「彼らはゲイ」だと認識したのでは? しかしそれは第三者の視点】に過ぎないわけです。あれほどあからさまな行為をしておいて「ゲイではない」? しかし世の中には同性と肉体関係をもちながらゲイと自認していない人も存在するらしいです。イニスとジャックの場合は、翌日のイニスの言葉とは違い、1度限りでは終わりませんでしたが、だからゲイだと決め付けていいのか。(もしジャックが4年後にイニスに会いに行かなかったら山だけの関係で終わったかもしれませんが、それじゃBBM自体が成立しませんので。)

結局、BBMファン(フリーク?)はそれぞれに自分にとって好ましいイニスとジャック像を作り上げ、2人の関係さえ好き勝手に妄想したのではないでしょうか、私も含めて。それが悪いとは言いません、他者に自分の意見を押し付けない限りにおいては。(357)でご紹介した記事の方みたく【自分の思う答えと違うと必死で論破して逆に説教しようとする】なんてことが自分にもありはしなかったか、と自らを振り返る私でございます。

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▲ブロークバック・マウンテンⅧ(351)~」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
私もなぜか最近、にわかにこの作品を再び振り返るようになりました。

ゲイ認識の部分について、紛らわしいのが、
あの翌日、ふたりが一定の後悔を示す描写がなされた事で、鑑賞者は直ちに「ふたりの秘密の愛の始まり」と捉えたんですよね(笑)。
ただ下界と上界と一線を画すことで、無自覚の説明は立ちます。

ここで、私が他のシミュレーションするに、
(既に過去に取り上げ済みかと思いますが)、もし
獣姦だったら、下山して彼らが異性と結婚する図を観客は非難したでしょうか? 意外に看過するのでは、と思います。では対象のタブーとは何者なのか?という原点的な問いが生まれます。

原作をしばしば持ち込むのは都合勝手かもしれませんが、イニスの「全力でぶつかる男」という性格が、やはり鍵になるような気がしました。
過去にリアル・ゲイさんの中には、無自覚説を否定するどころか、そうした意見を誹謗する向きまでありました。なぜなのか気になっていました。

私は前々回のコメントで、この物語は自己肯定がテーマなのでは?と書きました。
先の彼らは自己認識はしているものの、もしかしたら自己肯定には至らない現状なのかもしれない、と理解するようになりました(これはこれで異論があるかもしれませんが)。
つまりこれは、人間はどこまで己を理解し、人生をまっとうしているか?という普遍的な問いに落ち着いてくるのです。

イニスというキャラクターはここが特徴的で、長い時間をかけて自己認識と自己肯定を同時に果たした人じゃないでしょうか。
その生育環境も手伝って長らく無自覚だったが、正直な彼はついに自己のアイデンティティーに目覚めた(もしくは目覚めたかもしれない?)。

イニスをどっちつかずのハッキリしない男、と決めつけていたのは私。今では全く逆の解釈です。自分らしく生きることへの示唆に実に富んだ作品です。
長々と失礼しました。

投稿: 暖水魚 | 2010年6月11日 (金) 00時49分

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