ブロークバック・マウンテン(350)
BBM(341)に、あいこさんからコメントをいただきました。「『なめるんじゃねえぞ』、ではなく『生ぬるいぜ』」と、訂正されているとのことです。BBM資料集にも載せている米塚氏のリンクですが、確かに、
22頁 11行
「なめるんじゃねえぞと思った」は、「生ぬるいぜと思った」と改めてくださいませ」(2月22日追記)
とあります。
【*訳者所見(3月30日記。IEではクリックすると開きます)
この一節はやや難解な箇所ですが、以下のように解釈(パラフレーズ)できます。イニスは全力投球する男だった。牧場のフェンスを修繕するという日常の生産的な営みにおいても、なけなしの金を浪費するという非日常の非生産的な営みにおいても---つまり、いついかなる場合でも。そこで、この場合も「手でする」などという「中途半端」な誘いには我慢ならず、「どうせなら突っ込んでやる」と思い…ということです。(ならば、「火にでも触れたように」手を引っ込める反応の激しさは何なのかということになりますが、そこがイニスの抑圧され分裂した部分を 表しているのかも知れません。「分泌液」の件と同じく。)
他方、「経験の少ないゲイ」であるジャックにとっては、本来、この「手による性器愛撫」こそが自然な行為だったはず (経験豊富なゲイの相当数にとってもそうでしょう)。作者プルーの同性愛理解の正確さ、そしてジャックとイニスのセクシュアリティの微妙な描き分けがよく分かる一節だと思います。】
あいこさん、ご指摘ありがとうございました。訂正のお知らせは直接、米塚氏からいただいたもので、きちんと目を通しておくべきだったのですが、正直、あまりに訂正が多いことへの戸惑いもあり、精読しなかったのは確かです。また、当時(2006年前半)は、原作のほうに目を向ける余裕がなかったというのが実情です。かなり遅くなりましたが、追記に気づくことができて感謝しております。
さて、あの箇所を「なめるんじゃねえぞ」→「生ぬるい」と訂正されたとのことですが。うーん、やはりしっくりきません。私は「そんなもの、欲しくない」という直訳でよかったと思うんですよね。男とやりたいなんてこれっぽっちも思わないがイニスは突っ走ってしまった。それは何故なのか、は読者が考えるべきことでは? せっかく分かりやすく意訳してくださった米塚氏には申し訳ないのですが、「なめるんじゃねえぞ」が「生ぬるい」に訂正されても、文章の流れに、異質なものが挟まれてしまった、という違和感は拭えないのです。
| 固定リンク
「▲ブロークバック・マウンテンⅦ(301)~」カテゴリの記事
- ブロークバック・マウンテン(350)(2009.05.24)
- ブロークバック・マウンテン(343)(2009.04.17)
- ブロークバック・マウンテン(340)(2009.04.10)
- ブロークバック・マウンテン(349)(2009.05.17)
- ブロークバック・マウンテン(348)(2009.05.16)


コメント
訳者が改訂されたんですね。
あの難しいカーボーイ英語を訳すのは大変だったと思いますし、終わった仕事であるにもかかわらず、重版に合わせて訳を直していくという姿勢はりっぱだと思うのですが・・・
「なめるんじゃねえぞと思った」→「生ぬるいぜと思った」では、ますますドツボじゃないでしょうか。それじゃ、イニスが、積極的に「やりたがっている」ようにも読めてしまいます。
私も直訳で問題なかったと思います。「そんなモノ、全然欲しくないよ」と、シンプルに読めばすんなりつながる部分で、なぜ難しくパラフレーズするんでしょう。パラフレーズは「解釈」というより、解釈したうえで「言い換えること」つまり「意訳」のことです。ここまで原文を「言い換えて」しまうと、意訳したつもりで誤訳になっている気がします。
この部分、訳者の説明もちょっと1人で三段跳びしてるような・・・
『他方、「経験の少ないゲイ」であるジャックにとっては』・・・ あたりでは、もう跳びすぎちゃって、私には意味不明です(苦笑)。
ジャックって、この時点でそういう人って、はっきりしてましたっけ???。
初体験のあと、本能にまかせて交わりながら、一度だけイニスが、「オレはカマじゃねえ」と言ったのに対して、ジャックは、「オレだって違う。この場限りのことだ。他人は関係ねえ、オレたちの問題だ」と答えてましたよね。イニスほど自己否定はしておらず、やや含みのある言い方ですが、やはりこの時点でジャックにもゲイだという自覚はないように読めたのですが・・・ もちろん別の解釈も成り立つかもしれませんけど、訳者の説明はちょっとぶっ飛びすぎてるように思います。
しかし、翻訳本を作るうえでの一番の問題点は、「公開日の前倒しに合わせ」るために組まれた「編集者再校1日、訳者再校1日というタイトなスケジュール」でしょうね。日本語版はさっと読んだだけで、手元にはないのですが、いかにも「速攻」で訳した本という感じがアリアリでした。やはり映画公開日の都合とからんでいたんですね。訳す時間と初校の校閲にどの程度時間を取ったのかわかりませんけど、こういう作り方をしてしまうと、いい仕事ができなくなります。こういう状況で本が作られているというのは、訳者にとっても編集者にとっても、読者にとっても不幸ですね。
投稿: Mizumizu | 2009年5月27日 (水) 04時49分