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ぼくを葬る

ぼくを葬る DVD ぼくを葬る

販売元:日活
発売日:2006/10/06
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「焼け石に水」がぴんとこなかった私は、オゾンのゲイ映画は体質に合わないのかも? と本作を敬遠していました。「8人の女たち」「まぼろし」はよかったんですけどね。が、大好きなヴァレリア・ブルーニ・テデスキ(「ふたりの5つの分かれ路」に主演。これも気に入ったけど感想書けず)が出ていると知って慌てて拝見~。データはこちら。オゾン作品の感想を書くのははこれがお初です。

 この映画はよく知られているように余命3ヶ月を宣告された主人公ロマン(メルヴィル・プポー。目がとても綺麗、いいアクターですね。)がどう生きるか? がテーマで、彼はオゾン自身だとも聞いています。だから主人公はゲイでなくてはならなかったんでしょう。

 涙は出ませんでした、先にロマンに泣かれてしまったから、でもないか。ああいうシーンではもらい泣きしてしまうのが通例だったのですが。突き放した表現でもないんでしょうが、抑制が利きすぎの一歩手前という感じで、私には感傷の入る余地なしでした。ハリウッド映画の類似テーマ作品とはかなり趣が違うなあ。

 自分がロマンと同世代で死など先の話、他人事。だったとしたらもっと感情移入して見たと思います。でも私はロマンの年から年月を経て、大事な人に先立たれてしまったので、いま余命3ヶ月と告げられても、いよいよ向こうに行けるんだな、と思うだけかもしれないです。ロマンが動揺して自暴自棄になるのは無理もないですけどね。「死の受容への5段階」の1,2段階ですか。

 ロマンの恋人サシャ。はじめはあまり可愛く見えなかったのですが、再会シーンではすごく魅力的に見えて不思議でした。前と違ってロマンに依存的じゃなくなったから?

*以下、ネタバレです。

 ジャンヌ・モローは祖母役。早くに夫を失くし、「家を出て」いるのです。子供を放って? 非難もされたって、そりゃそうでしょう。でも母親の立場より、愛する男を失った女としての自分を立て直すのが先決というか切実な問題だった模様です。「まぼろし」の主人公が夫の死をなかなか受け入れられなかったのと繋がっているような。しかし息子(ロマンの父親)には辛かったでしょうね。ロマンの父も複雑なキャラに見えましたが、子供時代の傷のせいなのかもしれません。

 それにしても誰にも伝えないという選択もアリですか。祖母にだけは伝えましたね、1人だけわかってくれればいいとロマンは思ったのか。姉との和解にはほっとしました。あんな物陰から撮ってないでさーとか思いましたが、デジカメには姉の子供たちがしっかり写っているので、ロマンの気持ちは伝わるでしょう。

 サシャとやり直そうとして拒絶されるシーンは(7月19日追記;勘違いでした、再見したら「最後にもう1度寝たいとしか言ってません。「話がある」=「やり直したい」と言ってほしい私の願望を書いてしまったようです、失礼いたしました。)あの場合、仕方ないですよね。

 時間があればやり直せた(そもそも余命3ヶ月で一人になりたいから別れたのでしょうし?)のかもしれませんが。「話がある」って、サシャにも打ち明けるのかと思ったら違いましたね。もしサシャが事実を知ったら「残された時間を一緒に」となるだろうし、ロマンはそれを望まなかったのだろうし。

 ときおり子供時代のロマンが出てきましたね。最後の海岸でも。青いボールを渡してロマンは満足そうでした。やがて生まれてくるロマンの子供。あの選択はどうなのでしょう、少なくとも例の夫婦には正解ですか。いったいロマンと彼女にどんな接点が? でしたが、うーん。

  ラストシーンは素直にいいなーと思えました。私もこんなふうに逝けたら最高です。夕陽が落ちてだんだん辺りが暗くなって、波の音に包まれて。もうロマンには聞こえなかったかもしれないけど。ひとりきりだけど寂しくはない、翌朝には誰かが見つけてくれ愛しい人たちにもロマンの死は告げられる。波の音が耳から離れません。

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