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ブロークバック・マウンテン(235)

Nve00072_1  いよいよ問題の曲について考察する日がやってまいりました。
 あれですよ、あれ。山でのアクシデントの翌朝。イニスが放牧地に向かうときに流れるどんよりした曲。
 そしてジャックの部屋でイニスがシャツをみつけたときも、この曲が流れます。それが不思議でした、なんであのシーンとこのシーンに。全然ちがうじゃん?

 実は同じ曲があと2回、計4回使われています。2回目はイニスの回想シーン(アールの死体)、3回目は郵便局から出てきたイニスが返却された葉書に「死亡」を見つけてAh,と声が出るところから、ラリーンが受話器を取るまで。非常に短いですが、台詞のあるシーンに音楽は基本的に不要ですし、ここは特に大事な電話、音楽はないのが正解です。

 4回というとイニスとジャックのキャンプも4回でしたね。あのときと同様、起承転結、で考察してみます。

起:俺はqueerじゃない

 例の翌朝、イニスが牧羊地に向かうとき、はじめてこの曲が流れます。暗いです。このときのイニスの心情はどんなものだったのでしょうか。
 
 とうとうやっちまった…、初体験の相手が男かよ、やば。でも気持ちよかった…いや、ンなこと考えちゃいけない。俺はqueerじゃないんだ、何が何でも1度限りにしなければ。
 わっ、羊がやられてる。アールの死体を思い出しちまったぜ。

 その頃、ジャックは川でお洗濯。棒で叩いて洗っていたのは、のちにイニスが発見するイニス自身のシャツでした。

 夕方。寝そべるジャックに背後から近づくイニス。手にはライフル、真紅さんはここでイニスの殺気を感じたそうです。

イニス: あれは1度限りのことだ
ジャック:俺たちだけの秘密だ
イニス: 俺はカマじゃない
ジャック:俺も違う

 私は(84)でこう書いています。【もしここでジャックが「固いこと言わずに今日もやろうぜ」とか「お前だって楽しんだくせに」だのと口にしたら惨事に発展してたかも。ジャックもイニスの殺気を感じ、穏便に済ませようと思ったのかもしれません。とにかく、イニスは間違いを犯さないで済みました。】

 けっこう物騒なことを書いてますね。まだ4月末でしたか…。イニスは「自分はゲイであってはならない」こと、「男と同居=死」であることをここで再確認したのではないでしょうか。

承:アールの死体

 4年後の再会。キャンプの夜、ジャックはイニスに「牧場やろうぜ」と持ちかけますが、イニスはアールのリンチ死体を見せられた件を話し、断ります。
 回想シーンになり、あの音楽が流れます。首ねっこ掴まれ無理にアールの死体を見せられる9歳のイニス。白い帽子にグレイの上着のイニスの父。少年イニスの息が止まりそうな顔、ショックの大きさが伝わってきます。

転:ラリーンとの電話~ジャックの「事故」

 あくまで友人としてラリーンに電話するイニス。はじめてジャックのテリトリーに入りました(ジャックの家に電話)。原作では離婚のときもジャックに電話連絡してますが、映画ではこのときが初めてのようです。

「事故」の様子を告げられ絶句、ジャックのリンチシーンを妄想するイニス。音楽は既に流れていませんが、あの音楽にふさわしすぎる映像です。
 
結:シャツ発見

 イニスがジャックの部屋でシャツを発見した瞬間、またこの旋律が流れ出します、Why? 愛しげにシャツを抱きしめ、匂いを嗅ぎ、階下に降り、袋に入れてもらってツイスト家を辞する。画面左から右に走る車で、曲は終わります。

 
 この曲は「フォビア(とセクシュアリティ)に関するシーン」で流れるのだ、と気づきました。起、承、転、すべてそうだということはご理解頂けると思います。しかし「結」にあたるシャツ発見のシーンまでが何故フォビアと関係あるのか、どうして私がそう思うのか? 

 根拠は音楽と衣裳だけです。逆に言うと「音楽衣裳」フォビアと深い関係のあるシーンと同じなのです。当初から抱いていた疑問、なぜ山での翌朝とシャツ発見のシーンで同じ曲が流れるのか、がようやくわかりました。つまり、最初から最後までイニスはフォビアのままだし自分のセクシュアリティも自覚していない、そのことを音楽と衣裳で表しているのではないでしょうか。

 2つのシーンが無関係なら、或いは関係があることを隠したいなら、シャツ発見シーンには別の曲、たとえばBBM1,2,3あたりを使ったでしょう。そしてイニスにもアールの死体シーンのイニス父と似た衣裳なんか着せるはずがありません。

 イニスは経済的に苦しいので同じ服ばかり着ていて当然ですが、それにしたって何もイニス父と酷似した格好をさせなくても。もしやお下がり? と目を凝らしましたが、襟、胸ポケットのタグと袖が微妙に違います。でも全体によく似ているのです。今ではあのシーンを見るたび、父の後姿がイニスとだぶってしまいます。(汗)

 湖畔での諍いと別れの直後。ダイナーでキャシーと鉢合わせになるシーンから、イニスはずっとこのグレイの上着を着ています。それ以前は茶色のコーデュロイのジャンパー、もしくはGジャンでした。ジャックが画面から消えた後(ジャックの死後)、イニスはいつでもあのグレイの上着姿です。ラリーンに電話したときも、ツイスト家を弔問、シャツを見つけるときも、ラストでI swear...を言うときさえ。

 これは、イニスが、父の植え付けたトラウマから完全には抜け出せていないことを示しているのでは? ジャックと愛しあっていることには気づいた。シャツに向かって「I swear...」も言えた。しかしフォビアの感情は根付いたまま、自分がゲイであることからも目を逸らし続ける。

 でも、仕方ないのではないでしょうか。何しろ強力なトラウマに翻弄されて30年。30年の長きにわたって呪縛されてきたのです、下手すりゃ一生、そのままだったはずです。愛に気づけただけでも幸運だったと言えないでしょうか。

 この記事を受け入れがたい方も多いと思います。私ももっと楽しいことを書きたいです。でも疑問は解きたいし、気づいたことは書きたいのです。何故あの翌朝とシャツ発見場面の音楽が同じなのか、もっと説得力のある解釈が存在するなら、ぜひ教えてください。

 私が言いたいのは、やはり愛の力は偉大だということです。最後にはイニスはシャツを見つけ、ジャックへの愛に気づくことができた。根深いトラウマから部分的にではあっても解放されたのです。もしかしたらイニスは一生、トラウマに囚われていたかもしれません、トラウマがあることにさえ気づかずに。それが一部であっても解放された。これはジャックの愛の力ゆえだと信じています。ジャックの愛がイニスを救ったのです。

*追記:この記事で話題にした4曲は実は別の曲だそうです。次の記事(236)をご一読ください。(1/21)

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コメント

 びあんこさん、こんばんわ
 あまり大した情報ではありませんが、今日書店に行き立ち読みしていたら映画雑誌「スクリーン」と「ロードショー」の2006年映画評論家の外国映画ベスト10(タイトルに自信はありません)でBBMが両雑誌の堂々1位でした、評論家さんには評価高いですね、「スクリーン」の男優賞ではヒースが2位(1位はフィリップ・シーモア・ホフマン)でした。

投稿: イニスJr | 2007年1月21日 (日) 00時03分

びあんこさん、声も出ない驚きです!

ショックとかじゃありませんよ。この見事な考察に脱帽です。昨日の予告で心の準備は出来ていましたし、、、。
そして、問題のこの曲。映画「21グラム」のサントラ(BBMと同じグスターボ・サンタオラーヤ氏が作曲)でタイトルが「Does He Who Looks for the Truth, Deserve the Punishment for Finding It?」(真実を探す彼がそれを見つけて罰を受けたのか?)直訳が変だったら直してください。

①初夜の後、羊の死。②4年後の再会、アールの死体。③ハガキの返送、ジャックの死。④実家訪問、シャツの発見。
この音楽が流れるところ、すべて発見と罰といってもよいのでは?罰というより酷い事といった方が良いでしょうか?
①は2人の間に芽生えたものと行く末の暗示?
②は2人が求め合っていた事とイニスのトラウマの表出、
③はジャックの死を発見し、それを事故ではないと感じてしまったイニスそのもの、
④はシャツの発見=愛に気付く、そしてイニスの孤独と後悔?
「おお、音楽これでいこうよ」と頭を寄せて相談しているリー監督とサンタオラーヤ氏の間に一瞬、自信にあふれたびあんこさんの姿が見えたような、そんな想像を致しました。
私もびあんこさんのおかげでまた1歩前に進めたかなあ。

投稿: kママ | 2007年1月20日 (土) 03時03分

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